二人あやとりの始まりの川

なぜ『川』になったのか?

ふたりあやとりの始まり『川』。(人によっては始まりが異なります。)この大きさの異なる3つの四角形から得られる図形を『川』と見立てるのは至難の業だ。

単純な図形ほど見立てるのは難しい。大部分が想像力で補わなければならないからだ。この『川』は本が3冊並んでいるところでもよいし、電柱が2本立っている空間だって見立ててもよいはずだ。

代々『川』として教わってきたこともあるが、これほどまでに『川』と浸透するからには理由が何かあるはずだ。

ふたりあやとり『川』は、おそらく手前と奥にある小さい四角形のほうを川の土手を表し、真ん中の大きい四角形のほうを川を表しているようだ。

ここで想像力を働かせて、川と土手を頭に描いてみる。この川はいったいどんな川なのだろうか、海に行き着くような大きな川かもしれない、子どもでも渡れるような浅い川かもしれない。

子供でも渡れるような浅い川…もしかしたら『川』はふたりであやとりをするから『川』になったのではないだろうか。

昔々どこにでもあった光景。みんなと一緒に遊んだ川。対岸にはみんなが川を渡って待っている。でも自分だけが川を渡れなくてみんなと向かい合っている。早くおいでと誘っている。

だから『川』はあやとりだけでなく人も含めて『川』になるのではないだろうか?きっと一人では川と名前が付かなかったのかもしれない。

こういう光景は今では見られないかもしれない。川の中に入って渡るなんてことないもんな。今で言うなら『川』は歩道と道路か…

あやとり餅(奈良のお土産)

自分が住んでいるところのお土産屋さんって、あまり行きませんよね。いつでも買えるし、観光客がいっぱいいて、その町に暮らしている人は行きづらい。

でもでも、どこのお土産屋さんでもおもしろいですよ。何とかして買ってもらおうっていう努力が伝わってきます。もちろんそれは、利益のためかもしれないけど、そんな事はどうでも良いです。工夫してる、この命名うまいなってそう思わせるものがいっぱいです。住んでいるから冷静な目で見られます。

 

奈良のお土産屋さんで見つけたあやとりのお菓子です。

あやとり餅奈良のお土産外装包装紙
この包装紙を見たとたん、買いました。中身はどんなあやとりだろうって開けるのが楽しみ。

あやとり餅奈良のお土産あやとり餅
中身は栃の実餅とよもぎ餅がねじってあるあんこのお菓子でした・・・
「あやとりじゃないじゃん!」ってやっぱ言っちゃいました。

あやとり占い

あやとりで遊び終わった後、私は8重にしてしまいます。つまりあやとりの紐をねじって半分に折って2重にして同じ事をして4重、8重にしてしまいます。

そして次に使うときにちょっとした占いを実行します。目をつぶって8重の紐を半分ずつにします。その紐の様子で占うのです。

占いの結果

私が基準としている形は
何事にもスムーズな一日。すんなり交わりだけで別れた。
気分よくすごせるでしょう。絡み目がある。
落ち着いて行動しよう。交わりも絡みもないものがある。
といった感じです。 まぁ、占いの結果は各自で考えてください。

あやとりアンケート

かめ→ゴム→飛行機

このあやとりを知っていますか?このあやとりには地域差があるようです。かめの部分が両手を使って表現する方もいれば片手だけの方もいます。かめの前に鉄橋があったり、飛行機の後にカブトと言う方もいます。

というわけで、手始めにかめ、ゴム、飛行機のあやとりの地域差についてアンケートを実施したいと思います。御協力お願いします。

2013年にアンケートは終了しました。

あやとりの語源

関西地方では「あやとり」の事を「いととり」と呼ぶそうです。ここでは何故「あやとり」でなく「いととり」なのかを考えてみたいと思います。

あやとりは古語?

これは私の個人的な考えなのですが、あやとりという名称は古語ではないのかという説です。方言は京都に都があった頃の名残として時代を経て伝わっていると聞いた事があります。だから京都から遠い方に行くほど時代をさかのぼることができるそうです。全ての方言がそうだとは限りませんが、もしあやとりが古語だと仮定してみます。

「あや」のつく言葉

次に“あや”のつく言葉についてまずは考えてみたいと思います。「言葉のあや」という言葉があります。どういう場合に用いられるかと数人の方(20代)に質問してみました。返ってきた答えは悪気はないのだけれども相手が少し誤解を招いている時に「これは言葉のあやだよ」というそうです。良い意味では使っていないようでした。

しかし、「言葉のあや」の意味は表現上の技巧、文章、言葉の言いまわし(現代国語例解辞典/小学館)です。これから想像すれば良い意味、悪い意味、両方に使えるはずなのですが、言葉のあやは誤解を解くためにしか用いられていないようです。

では、なぜ悪い意味でしか用いられなくなったのかです。それは“あや”という言葉の誤解からではないでしょうか?あやのつく言葉を探すと、怪しい、賤し(古語)危うい、誤り、過ち、殺める、あやかる、あやす、操る、彩なす、菖蒲、などです。言葉のあやの“あや”が過ちや誤るとして用いられてしまっているのではないのかと考えました。このような考え方が都で広がり、あやとりという言葉が使われなくなり、いととりになったのではという仮説です。

いかがでしょうか、まだあやとりという言葉がいつから使われたのかなどの時代考証はしていませんので私自身も確証はしていません。

ご意見、ご批判、参考文献などお待ちしております。

二人あやとり

名称

ふたりあやとりをとっていくと川、馬の目など色々なものに変わる。この名称について調べていく。

規則性

あやとりの取り方は規則性があるようだ。

永遠

ちょっとした疑問。このふたりあやとりは何がおもしろいのだろうか?ずっととっていくことがおもしろいのだろうか。

ここでちょっと提案。ふたりあやとりで遊んでいるときのゲーム。
1.とれなかったら負け。
2.とったあやとりに名称をつけていく。
3.ふたりで速さを競う。
2番目のあやとりはちょっとおもしろいのでは。

はしごの不思議

4段はしご

4段はしごに注目。はしごの交差点は2種類ある。からみと交わり。1973年6月号の『科学朝日』”「あやとり」でいろんな段の「はしご」を作る”pp.98-101を読んでみた。これによると交わりとからみがポイントらしい。

からみ目だけの遇数段ばしごは作れないらしい。なぜだかよく分からないけれども、作れないらしい。でもほんとに作れないのか?と考えてみた。

中心を最初からこんな感じにしてみたらできるんじゃないのかな。と思ってやてみ
た。できた。からみ目だけのはしごができる。

なんちってともかく一度考えてみて下さい。

03/08/10追加
からみは横でなく縦で考えるそうです。TSさんからご指摘をうけました。あやとりBBS、No39より引用。あやとりの「はしご」についての基本的な話は、国際あやとり協会の会誌3号(1996)(http://www.isfa.org/bisfa.htm#Volume3)の”Ladder String Figures: A Systematic Approach”,93-107頁に掲載されています。

小学校であやとりの授業を

伝承遊びとしてのあやとり

あやとりは伝承遊びである。だから昔は口頭でしかあやとりを伝えることができなかった。いつあやとりがはじまったのかを記すものもなければ、あやとりを解説した本は少ない。

しかし、現在はあやとりの本があって本からあやとりを覚えるという人が増えたのではないのだろうか。実際に私もその一人である。本から覚えるのと人から教わるとの違いは思い出である。あやとりとともに、そのとき話した話題や失敗を印象強く覚えているのではないのだろうか。この思い出にこそ伝承遊びとしての役割と価値がある。

小学校で

ここで1つ提案である。たとえば小学校の授業であやとり1時間とりいれる。これは小学生が親、姉妹、祖母からあやとりを教わり、家族の中でどうあやとりが伝わっているのかを調べるのである。子どもは誰から教えてもらったのか覚えていないかもしれないが教えた本人ならば覚えているはずである。あやとりとともに思い出を語ってもらっうのである。

授業ではそのあやとりや思い出を話し、本には載っていないあやとりがあればそれは大発見につながるのではないのだろうか。あやとりを用いてのコミュニケーションをする授業なんてものはいかがだろうか。

本来ならばこういう事は自然に起こりうるべき事である。しかしおもしろそうである。