なぜ『川』になったのか?
ふたりあやとりの始まり『川』。(人によっては始まりが異なります。)この大きさの異なる3つの四角形から得られる図形を『川』と見立てるのは至難の業だ。
単純な図形ほど見立てるのは難しい。大部分が想像力で補わなければならないからだ。この『川』は本が3冊並んでいるところでもよいし、電柱が2本立っている空間だって見立ててもよいはずだ。
代々『川』として教わってきたこともあるが、これほどまでに『川』と浸透するからには理由が何かあるはずだ。
ふたりあやとり『川』は、おそらく手前と奥にある小さい四角形のほうを川の土手を表し、真ん中の大きい四角形のほうを川を表しているようだ。
ここで想像力を働かせて、川と土手を頭に描いてみる。この川はいったいどんな川なのだろうか、海に行き着くような大きな川かもしれない、子どもでも渡れるような浅い川かもしれない。
子供でも渡れるような浅い川…もしかしたら『川』はふたりであやとりをするから『川』になったのではないだろうか。
昔々どこにでもあった光景。みんなと一緒に遊んだ川。対岸にはみんなが川を渡って待っている。でも自分だけが川を渡れなくてみんなと向かい合っている。早くおいでと誘っている。
だから『川』はあやとりだけでなく人も含めて『川』になるのではないだろうか?きっと一人では川と名前が付かなかったのかもしれない。
こういう光景は今では見られないかもしれない。川の中に入って渡るなんてことないもんな。今で言うなら『川』は歩道と道路か…