国際あやとり協会
世界と日本を結ぶあやとりの架け橋。
あやとりで遊ぼう
19番のところ、どういうプログラムなのか教えて欲しいです。
H.Hamanaka very private page
あやとり状態遷移図がおもしろい。
てあそびサロン
このHPではしごがマスターできます。
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あやとりで遊ぼう
19番のところ、どういうプログラムなのか教えて欲しいです。
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このあやとりを知っていますか?このあやとりには地域差があるようです。かめの部分が両手を使って表現する方もいれば片手だけの方もいます。かめの前に鉄橋があったり、飛行機の後にカブトと言う方もいます。
というわけで、手始めにかめ、ゴム、飛行機のあやとりの地域差についてアンケートを実施したいと思います。御協力お願いします。
2013年にアンケートは終了しました。
関西地方では「あやとり」の事を「いととり」と呼ぶそうです。ここでは何故「あやとり」でなく「いととり」なのかを考えてみたいと思います。
これは私の個人的な考えなのですが、あやとりという名称は古語ではないのかという説です。方言は京都に都があった頃の名残として時代を経て伝わっていると聞いた事があります。だから京都から遠い方に行くほど時代をさかのぼることができるそうです。全ての方言がそうだとは限りませんが、もしあやとりが古語だと仮定してみます。
次に“あや”のつく言葉についてまずは考えてみたいと思います。「言葉のあや」という言葉があります。どういう場合に用いられるかと数人の方(20代)に質問してみました。返ってきた答えは悪気はないのだけれども相手が少し誤解を招いている時に「これは言葉のあやだよ」というそうです。良い意味では使っていないようでした。
しかし、「言葉のあや」の意味は表現上の技巧、文章、言葉の言いまわし(現代国語例解辞典/小学館)です。これから想像すれば良い意味、悪い意味、両方に使えるはずなのですが、言葉のあやは誤解を解くためにしか用いられていないようです。
では、なぜ悪い意味でしか用いられなくなったのかです。それは“あや”という言葉の誤解からではないでしょうか?あやのつく言葉を探すと、怪しい、賤し(古語)危うい、誤り、過ち、殺める、あやかる、あやす、操る、彩なす、菖蒲、などです。言葉のあやの“あや”が過ちや誤るとして用いられてしまっているのではないのかと考えました。このような考え方が都で広がり、あやとりという言葉が使われなくなり、いととりになったのではという仮説です。
いかがでしょうか、まだあやとりという言葉がいつから使われたのかなどの時代考証はしていませんので私自身も確証はしていません。
ご意見、ご批判、参考文献などお待ちしております。
ふたりあやとりをとっていくと川、馬の目など色々なものに変わる。この名称について調べていく。
あやとりの取り方は規則性があるようだ。
ちょっとした疑問。このふたりあやとりは何がおもしろいのだろうか?ずっととっていくことがおもしろいのだろうか。
ここでちょっと提案。ふたりあやとりで遊んでいるときのゲーム。
1.とれなかったら負け。
2.とったあやとりに名称をつけていく。
3.ふたりで速さを競う。
2番目のあやとりはちょっとおもしろいのでは。
4段はしごに注目。はしごの交差点は2種類ある。からみと交わり。1973年6月号の『科学朝日』”「あやとり」でいろんな段の「はしご」を作る”pp.98-101を読んでみた。これによると交わりとからみがポイントらしい。
からみ目だけの遇数段ばしごは作れないらしい。なぜだかよく分からないけれども、作れないらしい。でもほんとに作れないのか?と考えてみた。
中心を最初からこんな感じにしてみたらできるんじゃないのかな。と思ってやてみ
た。できた。からみ目だけのはしごができる。
なんちってともかく一度考えてみて下さい。
03/08/10追加
からみは横でなく縦で考えるそうです。TSさんからご指摘をうけました。あやとりBBS、No39より引用。あやとりの「はしご」についての基本的な話は、国際あやとり協会の会誌3号(1996)(http://www.isfa.org/bisfa.htm#Volume3)の”Ladder String Figures: A Systematic Approach”,93-107頁に掲載されています。
あやとりは伝承遊びである。だから昔は口頭でしかあやとりを伝えることができなかった。いつあやとりがはじまったのかを記すものもなければ、あやとりを解説した本は少ない。
しかし、現在はあやとりの本があって本からあやとりを覚えるという人が増えたのではないのだろうか。実際に私もその一人である。本から覚えるのと人から教わるとの違いは思い出である。あやとりとともに、そのとき話した話題や失敗を印象強く覚えているのではないのだろうか。この思い出にこそ伝承遊びとしての役割と価値がある。
ここで1つ提案である。たとえば小学校の授業であやとり1時間とりいれる。これは小学生が親、姉妹、祖母からあやとりを教わり、家族の中でどうあやとりが伝わっているのかを調べるのである。子どもは誰から教えてもらったのか覚えていないかもしれないが教えた本人ならば覚えているはずである。あやとりとともに思い出を語ってもらっうのである。
授業ではそのあやとりや思い出を話し、本には載っていないあやとりがあればそれは大発見につながるのではないのだろうか。あやとりを用いてのコミュニケーションをする授業なんてものはいかがだろうか。
本来ならばこういう事は自然に起こりうるべき事である。しかしおもしろそうである。
いつもは1色の紐。2本の色違いの紐を結んで輪を作ってあやとりをしてみよう。いつもと違った雰囲気。どうあやとりが絡んでいるのか繋がっているのか分かるかも。
あやとりを2人でやったらどうなるのか。いつもしているあやとりをふたりで片手ずつ用いてとってみよう。2人になったらつかえる手は3本、4本。もっと複雑な形をした立体的なあやとりができるかも。
いつもは結び目のない輪を使ったあやとり。もしここに一つ結び目を作ってそれを利用したあやとりをしてみよう。
いつもは1本だけの紐。もしここで2本の紐を用いてあやとりはできるかな。やってみよう。
あやとりをすると手先が器用になると思います。その他に、どの紐がどう絡んでいるのかを考えると頭の中で想像できるようになります。脳の空間処理が発達するかも。
あやとりをしている人で有名な人といえば野比のび太。のび太くんがジャイ子と結婚する時には花火の会社を設立しているし、静香と結婚する時はもう皆さんご存知のはずだ。あやとりの可能性は創造力を伸ばすこと。紐で形を表現するから制限が多いから創造力が高いひとには見えるし、見えない人は全く見えないだろう。
参考サイトのび太イズム